以西底曳き網漁業
※このページの青書き部はスクリューモニュメントのある場所に解説のため掲示されていた掲示物の内容をそのまま転記しています。※
財団法人 日本遠洋底曳網漁業協会福岡支部
1934年(昭和9年)10月、長崎県五島玉の浦を基地として東海・黄海を主漁場に活躍していた徳島県遠洋底曳網出漁団は、福岡市の要請を受け、玉の裏より
第一陣6業者(32隻)が新基地「博多漁港」に移転し、ここに福岡基地開設の第一歩を印し、本年で満65年を迎えた。
この間には国内外の情勢も大きく変化し、幾多の困難に遭遇するなかで、創業の先達が築かれた栄光の歴史を継承しながら、福岡市民、全国消費地市場への
動物性蛋白質の安定供給に努めてきた。
かつて、最盛時には企業体数46、操業船226隻、従業船員数2972名、年間漁獲高12万8千トンを誇示し、この博多漁港を底曳網漁船で埋め尽くすほどの
活況を呈し、福岡市水産業の主要漁業として市経済発展の原動力となって支えてきた。この以西底曳網漁業界の多大な貢献と、東海・黄海の未知なる漁場へ
挑戦された偉大な先駆者達の忍耐と輝かしい功績は、福岡市政の一ページに永久にその足跡をとどめる。
基地開設65周年を記念し、行事の一環として漁船の象徴である、スクリューのモニュメントをここに寄与する。 1999年(平成11年)10月
と書いてありました。今から計算すると86周年になりますね。
無線設備
以前に私が勤務していた漁業無線局には以西底曳漁船の加入はありませんでしたが、福岡漁業無線局(ふくおかぎょぎょう・JFO)にはたくさんの所属船がいました。
その、福岡漁業無線局も漁獲量の大幅な減少や後継者問題などで、業界が衰退してゆくなかで、統合廃局となってしまいました。私が勤めていた漁業無線局も今は
廃局となってなくなりました。
私の記憶の中では、今から20年ほど前を堺に、漁獲高の減衰の影響をうけ、漁業無線局も厳しい経営を強いられていた気がします。
当時、一般的には、漁業無線局は行政が運営している局と民間などの協会団体などが運営しているものがありました。性質上、所属船の少ない局や小規模の局は
行政(県など)が運営をおこなっていました。このため、通信士の待遇も民間局の職員は団体職員、県が運営している局の職員は地方公務員となっていました。
私が勤務した無線局は県が運営していたため、民間団体が運営している局に仕事でお邪魔した時に、イヤミともとれることを言われたのを覚えています。
どこの世界でも、民間は経営に四苦八苦していますので、今になって考えると、言われた意味がよくわかります。
12月の時期になると、家族と漁船の乗り組み員間の公衆電報取り扱いが多くなります。「新年おめでとう」の電報です。陸にいる家族が115番に電話をして、電報を
お願いすると、NTTを通して漁業用海岸局へ遠洋にでている所属船の乗組員あてに電報が送られる仕組みになっている。海岸局から届いた祝賀電報を一旦、船の
通信長が保管し、当日乗組員へ配布するのが一般的です。
この、公衆電報(公衆通信)はどの漁業用海岸局が取り扱えるわけではなく、公衆電報を取り扱うための条件、通信士の資格や員数が決められており特定の局のみ
取り扱うことができます。船舶も同じで、電話級や3総通では取り扱えません。
漁業無線局と公衆電報